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勘違いと忘却

作曲: 某S氏

音源:GS(SC-8850)  演奏5分25秒  MIDファイル=209KB

使用音色:16種  使用ドラム:39種  最大和音数:32  使用ポート数:2

作品コメント: タイトルに大して意味は有りません。「勘違いと忘却」を武器に前向きでも良いんじゃない?

ご感想待ってます: iza02473@nifty.com

 

アーティスト・プロフィール

某S氏: 

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某S氏の素顔に迫る!

ハンドルネーム 某S氏
性別 オス
年齢 30
住所 主に滋賀
職業 コンビニ店長・ミュージシャン・パチプロ
特性 非常に温厚、社交的、で有ったが、13歳で、人をやめてから、非情になり、斜行癖が有る。
特徴 ガレすぎ。(神経毒氏談)

経歴(フィクションかも?)

ガキの頃  広島で生まれたらしい。(ま、らしいとしか言えんわな)
 即、枚方へ、移住。0歳で、やくざの本場を渡り歩く事になる。
 以降6歳まで大阪にて関西弁を学ぶ。

 3歳の頃雨樋と壁の隙間に挟まり、鼻を骨折。
 めちゃめちゃ泣いていたが、お袋は「んーなもん、ティッシュ詰めとけば、とまる。」と、剛胆に言い放ち、以降強い子に成ろうと、決意する。(鼻は、未だ曲がったままである。)

 親父は、日曜ごとにパチンコに出かけ、夕方になると迎えに行くのが慣例となる。
何やら親父が、銀色の玉を集めているので、良かれと思い、他人の下積みドル箱をかっぱらって、えらい怒られる。でも、親父は誉めてくれた。良いんだろうか?

 友達も少なく、いつも女の子に間違われるほど可愛く、内気な少年だった(ほんまやって、信じろよ)私は、一つ上の兄とばかり遊んでいた。
が、兄にはよく泣かされたものである。

小学校  幼稚園を上がった時、滋賀県に移住する事となる。
 別段枚方に愛着があった訳でも無いので、特に感慨は無い。
 そんなこんなで、H小学校へ、入学。

小一
 あまり憶えて居ないが、ひたすら遊びまくっていた様な気がする。
割ったガラス・・・5枚位?
めくったスカート・・・70枚位?
 当たり前のようにクラス2番目(宰相)の地位に、君臨する。
 休み時間になると速攻で飛び出して、ドッジボールの陣を取ることに命を燃やした、ごく普通の、小学生で在ったと思う。多分・・・。

小二
 クラス替えが、無かった為そのまま宰相。

 ある日体育の時間、登り棒を登らされる。そこで、頑張っていると、なにやら股間に、電気が走る様な快感が有るのを発見。以来登り棒の魅力に取り憑かれ、サルの様に登りまくる様になる。所謂、「登り棒オナニー」で有る。

 この頃から女を、意識し始め、登り棒オナニーの、オカズとして、スカートを、めくる様になる。(どーでも良いけど、トンデモ無い小二やな。我ながら・・。)

同じクラスの、M・Sさんに惚れる。
割ったガラス・・・通算10枚を突破。
めくったスカート・・・通算150枚を突破。
 ろくでもねー小学生やな。

小三
 当時、鍵盤を習っていたのだが、今は、一つも身に付いていない。

それよりも、外に遊びに行きたくて仕方なく、そう思うと、なかなかに活発な少年時代だ等と思うが、鍵盤は、真面目にやっておけば良かったと、悔やむことしきりで有る。

 当然セクハラ街道を爆進し続け、担任教師に、唸るほどしばかれたが、セクハラ大魔王は、そんなことでは止まらなかった。クラスメートに成った人は、災難だったね。

小四
 まだまだセクハラ街道爆進中。
やったと思うねんけど、正直あまり憶えてない。
同じクラス(やったかどうか定かでない)の、M・Yさんに惚れる。

小五
 この頃から落ち着き、クールなダンディズムを求める様になる。(ほんまに小学生か?)にも関わらず、料理クラブへ入部。何を思ったのか自分ながら、未だ不明である

 学校に長ズボンを履いて行ったのもこの頃だ。当時小学校に長ズボンを履いて行ったのは、私ともう一人だけである。

 何のことはない、単に其奴(T・T)の影響だったのだが・・・。
又、他の影響も受けており、少し「オタク化」し始める。思えばこの頃が、「頭脳派」と、「肉体派」の、分かれ道だったのであろう。勿論「頭脳派」である。

小六
 本格的に右手を使ったオナニーを憶える。

 オナニー歴四年にして、やっと手を使う事を教わった。
 何をやっとるんやろうね、今時やったら中学のお受験で、えらいことになってるやろうに当時はまだ、そんなことはどーでも良い風潮だった。

 学校では木工作クラブへ入部。年端も行かないガキ共が、鋸を振り回し、金槌でどつき回し、奇怪なオブジェをマッドアルケミスト宜しく作り上げてゆくステキなクラブである。

 そうそう、色んな道具を、使ってみたのもこの頃。カップヌードルとか、掃除機とか、色んな体勢とか、左手とか、前立腺なんかも試したなあ。あの頃は若かったなあ・・・。(しみじみ)

 ま、当時の私の学力で在れば何処でも受かったが、「ツレがいっぱい居るから」という至極もっともな理由で、大津市立U中学へ進学。

中学校  中学に成ったからと言って変わったのは詰め襟に成った事位だが、この頃は、役に立つ立たないに関わらず、色んな知識を、吸収したものである。(ろくでもないものばーっかり憶えてるけどな。)

中一
 オタク仲間の、T・K、K・M、H・M、と、つるみ始める。
 この頃からアニメオタク化し始める。浮いた存在やったんかな?色んな奴に、喧嘩売られた様な気がする・・・。

 科学部に、入部。抵抗花火や、コンデンサー爆竹に興じ、パピコン(PC−6001)で、訳の分からんクソゲーを、テープで読み込む日々であった。

 この頃は、ゲームブックが台頭してきた頃でも在り、次第に、ファンタジーRPG方面へと傾倒して行く事になる。

 隣のクラスのA・Hさんに惚れる。今までとは次元の違う惚れ方で、此が初恋と言うもので有ろう。

中二
 上述のA・Hさんと同じクラスになる。
 だからと言って何が有ると言う訳では無いが(何か出来たら良かったのだが)嬉しいものである。

 この頃から首までドップリ、アニメとファンタジーRPGに浸かる。オタク仲間も次第に増え、I・K、T・F、K・H、T・K、等を迎え、テーブルトークRPGにはまり込み、ルールブックや、モジュール、拡張キットを買い漁り、一人が持っていたらコピー、製本(表紙、背表紙、裏表紙まで作った)し、4面、8面、10面、12面、20面、果ては100面ダイスまで用意した。

 メタルフィギュアを扱っている店が東山三条に在ったので、京阪からダッシュで降りてタダ乗りし、おもちゃ屋でフィギュアを、集団のコンビネーションでパクりまくり、再び京阪に乗って、石場で頭数に物を言わせ、「友達待ってるんです」とか、訳のわからん事を言って押し切ってタダ乗りして集めていった物で有る。(改めて書くと1円も掛かってないな・・・んーやるもんやなー、我ながら。)

 この頃は小遣いが無くて小遣い稼ぎに本とかパクっては100円位で、売り飛ばしてたなー。我ながらセコい。

RPG系では
初級:ファイティングファンタジー・ダンジョンズ&ドラゴンズ・モンスターモンスター・トンネルズ&トロールズ・ルールザワールド

中級:ウィザードリーRPG・ナイトメアハンター・ワースブレード

上級:フォーリナー・チル

A級:アドバンスドD&D・指輪物語RPG・

S級:コールオブクトゥルー・ルーンクエスト

アニメでは、
初級:風の谷のナウシカ・機動戦士ガンダム・宇宙戦艦ヤマト・超時空要塞マクロス・天空の城ラピュタ

中級:1000年女王・スペースアドベンチャー コブラ・我が青春のアルカディア・クラッシャージョウ・超人ロック・アリオン・ガルフォース・名探偵ホームズ

上級:伝説巨神イデオン・六神合体ゴッドマーズ・幻魔大戦・少年ケニヤ・カムイの剣・吸血鬼ハンターD・強殖装甲ガイバー・魔法の天使クリィミーマミ

A級:SF新世紀レンズマン・エリア88・ジャスティ・ウィンダリア・プロジェクトA子・オネアミスの翼・ダーティペア・魔法のプリンセス ミンキーモモ・メガゾーン23

S級:シリウスの伝説・パンダコパンダ・テクノポリス21C・綿の国星・銀河鉄道の夜・天使のたまご・アモン サーガ・11人いる!・ブンナよ木からおりてこい

と言った所に因り人格形成されていった訳ですな。
 んー客観的に見るとすげーな・・・これでも影響受けた物の半分以下やもんな。

中三
 言わずと知れた高校受験の時期である。
にも関わらず、上述の様な事をえんえんやってた。あとは、ひたすら本を読んでた。この頃読んだ物で「西遊記」はすごかったねー。新聞並の文字サイズで、厚さがパソコン本体並、何千ページ有るんだ?しかも、上下巻なので×2。今思うとよー読む気になったもんや。後は、五日で「ドリトル先生」全巻読破もしんどかったなー。色々読んだけどSF作家が多かったなー。新井 素子・火浦 功・岬 兄吾・渡邉 由自・水野 良・富田 祐弘・寺田 憲史・・・きりがねー。

 受験の話にしよう。
 私立 比叡山普通科、合格。東山の特進、不合格。この状況で公立入試の前日、つれの家でRPG三昧、帰ったら10時やった。
 滋賀県立Z高校に合格。我ながらよー受かったもんや。
確かに、よー受かったよなー。いやいや、中三の時の担任が頻りに「おー、よー受かったよー受かった。ワシは一敗は覚悟しとった。」って俺の顔見ながら真面目に言うなよ!。信じろよ教え子やろーが!。

 大体まー、感動も非常に薄かったしねー、合格発表の日に、めんどくさいから見に行く奴に、「ついでに見といて」言うたら怒られたからしゃーない、遅れ気味で見に行ったら途中で合って、「おう、お前受かってたぞ。」って言われた。
なんか人から聞くと、感動も無いもんやねー。

 ま、なんやかんやで成り行きではあるが滋賀県立Z高校へGO!

高校

 

ふう、だらだらと訳のワカラン事を書いて来たが、漸く高校生です。
 高校生!んー実に多感で繊細で微妙な時期・・のはずなんだが・・・。
 一般論は置いといて取りあえず行ってみよう。

高一
 コーコーセー!入学式から私の頭は天国モード大フィーバーである。
「高校生にも成ればあんな事や、こんな事や、そんな事まで出来る!」と言う、実に根拠の無い期待感に胸と股間を膨らませていた(実に在り来たりな文やな)。

 だが、そんな根拠の無い期待が満たされる訳もなく、次第に日々だれていく事になる。そんなだれきった五月頃、ふと隣を見ると奴が居た。K・M、仮にキヨシとしよう。未だにつるんで、ろくでもないことを画策する相方の登場である。

 おかしな物で当時、殆ど接点が無いのだ。にもかかわらず、ふと隣を見るとアスターでアフターバーナーやってたりする。未だにどうやってつるむ様に成ったのか不明だがそんな事はどうでもよろしい、要はキヨシがボケで、俺がツッコミ、此で良いのであろう。

 そんなこんなで夏休み前に気づいたのだが、自分のクラスにツレの少ないこと少ないこと。殆どの時間キヨシのクラスに入り浸っていたのだから当然か。
キヨシはこの当時から軽音楽部に入ってギターをやっていたが、私は眺めていた。それこそホンマにぼーっけーっと。ほんで練習終わったらアスター寄って帰ってた。

 ほんまに無為に過ごしてたねこの頃は。音楽に「びた一文」興味が無かったからなあ。ホンマに俺、ミュージシャンなんか?

 キヨシとスキーに行ったのはこのころか?色んな人が居るもんやねー。二人でリフト乗って上がってると、1本スキー居たがピュー滑って行きよる。「アホが板に見捨てられとんで。」言うてたらもう1本にも見捨てられたらしく、2本目がピュー。「おいおい、どないして降りてくんねん。」言うてたら、最後におネーちゃんがウルトラマンポーズでピュー。「はー、こないして降りて来はんねんなー。」「ん、納得。」又、夜は夜で風呂覗きに行ったら、なんか静岡から来たという奴に「どうです、見えます?」とか聞かれて「んーぼちぼち。」とか答えてたらいつの間にか師匠と呼ばれてたりした。色んな人が居るもんやねー。

高二
 音楽を聴き始める。しかも「ボウイ」。しかし、ここからが早かった。
「ボウイ」⇒「ボンジョヴィ」⇒「ヴァンヘイレン」⇒「ラウドネス」⇒「メタリカ」
この間、実に三週間。アホみたいな変遷である。
 って言うかキヨシの影響やね。

 確かチャリでベンツに喧嘩を売ったのはこの頃では無かったか。狭い道で「危ないんじゃボケ!」とたまたま叫んだら、たまたまベンツで、たまたま真っ黒の窓がウイーンて開いただけやけど、全開でずらかったね。ま、生きてるんで良し。

 この時A.Y(仮にアツシとしよう)と、同じクラスだったらしい。が、あまり憶えていない。大学に入って再び登場するので良し。

 高二と言えば、そう、修学旅行である。実にくだらんと思うだろうが、色んな事が有るもんである。ま、修学旅行を前にしてすね毛の処理をしてた男は俺ぐらいでは無かろうか?何だかイベントで女装する事になって、根が真面目な俺はすね毛の処理をした訳だが、けっして「趣味である」とか、「週に一回は欠かさない」とか、「パンストが履きにくいから」だとか、「私の体の男の部分が許せない」とか、「鰯に全部吸われた」とかゆー訳ではない。信じろってば。
 何故か卒業アルバムに見開きでデカデカと載っているが・・・。

 他には、夜中にみんなで大オナニー大会をしようって事で、数人でエロ本を買いにトイレの窓から出ていったら、一人が「やっぱ止めとくわー。」と常識的発言をして、又トイレの窓から戻った所、小用を足しに来た副担任の教師と鉢合わせ、「お前はトイレで靴持って何をしとるんじゃ?」ってな事でこってり絞られたらしい。その間に俺等はブツを仕入れて戻り、「おとり、御苦労。」って言うたらえらいへこんでた。
 大オナニー大会?ヤリましたとも。一分二八秒の好成績で第四位に着けました。

 この頃になると軽音楽部で半部員みたいになっていて、よく地下倉庫に出入りしていた。(地下倉庫が練習場所。)次第に自分もやりたいなー、と思い出すが今更、開いてるパートも無く途方に暮れていて俺に、「ベースをやらないか」と云う話が来た。時にして二月。二つ返事でOKしたが、よく考えるともうすぐ三年、言わずと知れた大学受験の時期である。が、よく考えたのが大学に落ちてからなのでこの時は良し。
 勿論、バンドをやるのも初めてなら、ベースをやるのも初めてだった。が、ライブ予定だけは立っており、その予定は五月だった。えーやりましたとも。ソッコーでベースを買いに行き、後は一日一二時間以上弾き続ける、実に有意義な時間やったね、この頃は。(やっとこベースを弾き始めたよ。ふーやれやれ。)

高三
 さーて漸く音楽を始めた訳ナンやけど、上記の通り五月にライブが有る。所謂定期演奏会なんだが、兎に角、自分の初ライブで有る。でもまあ、がむしゃらで余り憶えていないのだが・・・。
 そう!がむしゃらやったね。お袋に「なにも高3になってから始めんでも。」と、小言を頂戴したり、電車でポケットに手を突っ込んでピック弾きの練習してたら「朝から電車オナニーですか?豪気ですな。」とか宣われたり、授業中に一生懸命暗譜に勤しんでると前から順番に当たっているのに「・・・は飛ばしてその後ろ。」と言われ、理由を聞くと「どうせ答えられへんやろ?」とか至極もっともなことを担任教師に言われたりしていた位、がむしゃらやったね。

 そんながむしゃらな中NHKの第1回BSヤングバトルに出る。
がむしゃらな結果、ラジオ・オンエアーに止まる。
しかし、国営放送を使って自分の下手さ加減を確認するのもつらいもんが有る。
今ふっと思ったのだが、NHKで「アンチソーシャル」なんて曲やって良かったのか?
ま、今更どうでも良い事だが。そうそう、第1回BSヤングバトルの覇者はGAOさんでしたね、今どうしてるんでしょうか?私は元気です。
 と、まあこれが6月か7月頃のこと。5月の話は割愛。

 8月、スタジオΣのチャリティーコンサートにでる。此が又、ちょっと奥さん!滋賀会館の大ホールですって!そら、高校生バンドには広すぎて持て余すわな・・・。しかもテレビカメラ2台使ってVTR作成。こんな事やったらちゃんとメイクしとくんやった、顔の右半分とかじゃ無くて・・・。しかも、終わった後打ち上げでナンパしてるし・・・。

 そんなこんなで文化祭。その頃にはバンドが3っつに増えてましたとさ。
こなせると思う?そう、答えは「NO」だ。えー倒れました。当日の朝にね、ベッドを出るやんか?そーすっとね、なーんか床がね、迫って来んのよ。グワーっとね。んで又そのまま意識失ったみたいなんやけど、倒れてる俺を見てお袋は「寝相悪いなー。」としか思わへんかったらしい。おーい、息子倒れてんでー。ま、約1時間ほどで意識を取り戻すも完全に遅刻で有る。チャリンコでちんたら行きましたとさ。

 今気が付いたけど文化祭ってもっと前やな。BSヤングバトルよりも前やったな。
 ま、順番ワチャクチャやけど気にしなーい。剃れてなーい。アカンやん。

 そんなこんなで高3の秋口までベースの事しか考えて無かった人間が、ほんの1.2ヶ月勉強してるふりをして机に向かった所で大学受験に受かる訳もなく(大阪市立大学志望)滑り止め1個を残して全敗(大阪産業大学)。
 私立理系は経済的理由により出来るだけ避ける様にとの大蔵省からの通達が有ったので浪人を決意。因みに予備校だと様々なコネに因り年間8万で行けた。

 そんな訳で来年に思いを馳せつつ、予備校へGO!

予備校  えー、浪人生です。
 浪人生ってあれやね、電車とかで見たら一目で分かる様なん多いやん?
でも、俺は違ったね。
 初日から、イッセー・ミヤケのシャツに、黒のバックスキンのベスト、インディゴブルーのリーバイスに、ノーズのバッシュ、眼鏡は外してレイバンをキメて行った。
誰も生徒やと思ってくれへんかったらしい。(後日他の生徒談)

 そんなこんなでスタートした浪人生活だが、一般的に「浪人」のイメージはどんな感じで有ろうか?余り知らない人は暗いイメージを、良く知っている人はちゃらんぽらんなイメージを持つのでは無かろうか?
 実は両方とも正解で要するに各人の覚悟の程に因るわけであるが、して私は?と言うと、言わずもがな後者である。
 大体やね、現地が肥後橋。梅田から四つ橋線で一駅。要するに定期券を使えば何時でもロハでキタへ行けるのである。何時でも行けると言うことは・・・割愛。

 そんな浪人生活がいか程の実に成ったで有ろう?
 その春近畿大学理工学部建築学科に合格。又しても私立理系で有るが2浪は避けよとの命により大学生と成る。

大学 大学生で有る。

 基本的に大学生に対して真面目なイメージを持つ人間は稀で有ろう。理由は比率として真面目とは言い難い人間の方が多いからであると思われる。そしてそんな比率の中に有って私はどちら側の人間であったか?「にーどれす とぅ せい。」

 しかし色んな事を学んだね。
 パチンコ・麻雀・競輪・競馬・競艇・サイコロ・ポーカー機その他ギャンブル産業は良く学びました。

そんな1回生。
 と有るインカレのツアーサークルに入る。・・・・が、ツアーサークルって何すんのん?すんげえビラが胡散臭い!等の思いが脳裏と言わず大脳新皮質を乱れ飛んだが同じ学部・同じ学科でツレになったM・H氏の「一緒に行こうや!一緒にブイブイイワそうや!」の一言で敢え無く入会の運びとなった。

つづく・・・のか

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